Notes by:Mike Koshitani
ウィリアム・ベル
WILLIAM BELL
今年で78歳を迎えるウィリアム・ベル、元気に活躍している。1939年メンフィス生まれ。Billboard Live TOKYOでの一昨年の初来日公演は感動的だった。昨年のアルバム『This Is Where I Live』も素晴らしい出来栄え。1950年代から活動。62年にスタックス・レコードから「You Don’t Miss Your Water」のヒットを放つ。その後も多くのチャート・イン・ナンバー…、68年には「Tribute To A King」(邦題:オーティスに捧げる歌)がR&BチャートのBest20内にランキング。まさに伝説のソウル・シンガーだ。
ボビー“ブルー”ブランド
BOBBY “BLUE” BLAND
1930年生まれ、40年代後半から活動していた。50年代に入りレコーディング活動開始。57年から70年代初頭までデューク・レコードで「Farther Up The Road」はじめ多くのヒットを放った。その後もマラコ・レコード他で素晴らしい作品を発表。Billboard誌R&Bチャート・イン・ナンバーは60を超す。57年の「Farther Up~」ほか61年の「I Pity The Fool」63年の「That’s The Way Love Is」はR&Bチャート、ナンバー・ワン・ソング。60年代に必死になって輸入盤LPを集めていた…。わが国でも多くのファンを魅了したステージを披露、ブランド夫人とご一緒させていただいたBlue Note TOKYOのライヴは特に印象深い。エリック・クラプトンのファイヴァリット・アーティストでもある。2013年6月、83歳で逝去。
オーティス・クレイ
OTIS CLAY
1942年ミシシッピ生まれ、早くからゴスペルを歌っていた。50年代後半にシカゴに移ってからもゴスペル・グループに参加していた。65年にR&B歌手に転向。リック・ホール、ウィリー・ミッチェルというR&B史にその名を残すプロデューサーとの出会いの中で名作を生んでいく。ウィリーのハイ・レコードから72年に発表した「愛なき世界で」はR&BチャートBest30内に入るヒットとなり、わが国でもソウル・ミュージック・フリークたちから注目を集めた。78年の来日公演ライヴ・レコーディング・アルバムは日本だけでなく海外でも高い評価を得た。その後何度か来日、99年のジャパン・ツアーではギターを菊田俊介が務めた。2016年には来日公演が予定されていたがその矢先の1月73歳で逝去。
テレンス・ハワード
TERRENCE HOWARD
1969年生まれの映画俳優。95年から『陽のあたる教室』『ザ・コーチ/勝利のダンク』『モハメド・アリ KING OF THE WORLD』『サボタージュ』ほか多くの作品に出演。日本公開時に前夜祭のMC&プロデュースをさせていただいた『Ray/レイ』ではベース奏者を演じ音楽に精通しているところを発揮。彼は本作でもその腕前を披露しているギター、そしてピアノが得意だ。メンフィスが舞台の『ハッスル&フロウ』では怪しい仕事をしていたDジェイがラッパーを目指すというストーリーでその好演ぶりが高く評価されオスカー主演男優賞にノミネートされた。TVシリーズ『エンパイア 成功の代償』でも注目を集める。本作プロデューサーのローレンス“ブー”ミッチェルもテレンスのミュージシャンぶりを絶賛している。
ブッカー・T.ジョーンズ
BOOKER T. JONES
1962年に「Green Onions」を大ヒットさせたブッカー・T.&ザ・MG’sのリーダーを務めた伝説のオルガン奏者。44年メンフィス生まれ。幼い頃からクラシック音楽に親しみ多くの楽器を弾きこなしていた。10代にブルースやジャズに興味を持つ。高校時代にスタックス・レコードの前身サテライト・レコードでレコーディング体験。その後スティーヴ・クロッパーたちとブッカー・T. & ザ・MG’sを結成。グループはスタックスのハウス・バンドとしてフル稼働しながら多くのヒット・チューンも放つ。70年代はスワンプ・ロック作品も発表。ソロとして様々な活動の中で若いアーティストとの交流も積極的に行っている。ちなみに現在のライヴで御大のバックを務めるギタリストは息子のテッド。ただ今、自叙伝を執筆中。
チャーリー・マッセルホワイト
CHARLIE MUSSELWHITE
1944年生まれ、現在も精力的に活動する白人ミュージシャン。10代の頃からメンフィス・ブルース・シーンでハーピストとして活動。60年代前半にシカゴに活動場所を移す。多くのブルースマンと共演しながら60年代後半には自らのアルバムを発表。ウエスト・コーストでも注目される。70年代からはメジャー・レーベル、ブルース・レーベルなどで秀作を発表。93年に初来日、その素晴らしいステージは多くのファンを魅了した。レイテスト・ライヴ・アルバム『I Ain't Lyin’…』もお薦めの一作。この夏もブルース・フェスなどに出演。
ノース・ミシシッピ・オールスターズ
NORTH MISSISSIPPI ALLSTARS
1970年代初頭スワンプ・ロックやローリング・ストーンズを聴いているとジム・ディキンソン(1941-2009)という名とよく出会った。プロデューサー、アーティストして伝説の人物である。その息子、ルーサー&コーディによって1966年に結成されたブルースを得意とするまさにメンフィスのオールスターズ。ライヴも精力的に刊行していることでも知られる。5月にリリースされたばかりの8枚目のアルバム『プレーヤー・フォー・ピース』数曲は本作プロデューサー/出演者のローレンス“ブー”ミッチェルが制作プロデュース、レコーディングもロイヤル・スタジオで行われている。
ボビー・ラッシュ
BOBBY RUSH
1933年生まれの伝説の現役アーティスト。R&Bチャート・イン・ナンバーは「Chicken Heads」「I Wanna Do The Do」と数少ないが60年以上にもわたる活動はわが国でもよく知られマニアから絶賛されている。チトリン・サーキットのキング、ブルース・ハープの名手としても名高い。来日公演も素晴らしかった。早くからギターとハーモニカをはじめ第二次世界大戦後、エルモア・ジェームスのバックを務める。50年代にシカゴに移りマディ・ウォーターズ、ジミー・リード、エタ・ジェームスらとの交流の中で活動の幅を広げ、60年代からはチェッカー、ギャラクシー、フィラデルフィア・インターナショナル、ジュエルほか多くのレーベルからレコード・リリースしている。ここ30年あまり、ますます精力的な活動を続けアメリカ南部だけでなく多くの国々でも公演を行っている。最新作は『Porcupine Meat』もライド・オンなのだ。そのアルバムは今年のグラミー賞ベスト・トラディショナル・ブルース・アルバムを獲得した。
メイヴィス・ステイプルズ
MAVIS STAPLES
ローバック"ポップス"ステイプルズは1940年代末に家族とともにゴスペル・グループ、ザ・ステイプル・シンガーズを結成。メンバーの一人が39年生まれの娘メイヴィス。グループは50年代にはレコード・リリースするようになる。60年代後半の公民権運動がビッグ・ウェイヴしていく中で多くのブラザーズ&シスターズに注目される。68年にスタックスと契約、70年代にはいると「Respect Yourself」「I’ll Take You There」「Let's Do It Again」といったベスト・セラーほか多くのナンバーをチャートに送り込みヒット・グループとして人気を呼んだ。わが国でもこの時代、ディスコでもヘヴィー・ローテーション。一時はザ・ステイプルズと名乗った時期もある。2000年にポップスが亡くなるまで活動。その後、既に60年代末からソロ・アクティヴィティしていたメイヴィスが本格的にソロとして活動。本作登場のイヴォンヌ・ステイプルズは70年代からグループに参加した一つ年上の姉。
ヒューバート・サムリン
1931年ミシシッピ生まれ。10代から活動を始め、50年代初頭にはメンフィスのサン・レコードでレコーディング。54年にアーカンソー州ウエスト・メンフィスでハウリン・ウルフと出会い御大のギタリストとしてシカゴに移る。ほんの数年を除き以後ハウリンが亡くなる76年まで右腕として活動。その後自らの作品も発表。ビリー・ブランチ、パイントップ・パーキンスとの共演も味わえる秀作ほか力作アルバムを発表。中でもキース・リチャーズが「I Love The Life I Live」「This Is The End, Little Girl」「Still A Fool」の3曲でジョインしている2005年リリースのアルバム『About Them Shoes』 はロック・ファンからも注目された。ミック・ジャガーとキース、ザ・グリマー・トゥインズお気に入りのブルースマン。「エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、ジミー・ペイジ、スティーヴ・レイ・ヴォーンらにも影響を与えた」と、共演したこともある菊田俊介は語っている。
ヨー・ガッティ
1981年メンフィス生まれ、本名はマリオ・ミムス。ラッパーとして96年から活動、インディーズ・レーベルから作品集を発表してきた。2012年にメジャーからのファースト・アルバム『Live from the Kitchen』(スタジオ・レコーディング)をリリース。Billboardアルバム・チャートのベスト20内にランキングされる。その後の『I Am』『The Art of Hustle』も人気を呼びベスト10入りしている。
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