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著名なミュージシャンの生涯や人気グループにまつわる物語をテーマにした映画や、記録映像をまとめたドキュメンタリーは珍しくないが、ザ・フーのマネージャーでありプロデューサーでもあった裏方の人物にスポットを当てた『ランバート・アンド・スタンプ』のようなドキュメンタリー映画は稀だろう。最近ではプロモーターを題材にした『アーサー・フォーゲル〜ショービズ界の帝王〜』という映画も公開されたが、マネージャーやプロデューサーを題材にした映画となると、アル・パチーノが演じて話題になったフィル・スペクターの伝記映画や、ビートルズの初代マネージャーで32歳の若さで謎の死を遂げたブライアン・エプスタインを題材にした『A Life in the Day』と『The Fifth Beatle』(共に現在制作中)くらいしか思い当たらないことを考えると、いかにキット・ランバートとクリス・スタンプという二人の存在が映画化に値するほど物語性に富み、またザ・フーを成功に導く上で大きな役割を果たしたかという逆説的な証明と言えるだろう。

 そんな二人がザ・フーと関わるようになったのは、1964年夏のこと。当時はビートルズの成功により、資産家の間で有望なポップ・グループを発掘して一山当てようと画策するのが流行っていたことから、ザ・フーの場合もハイ・ナンバーズとしてのデビューはドアノブ製造業者の出資で実現したものだった。ただランバートとスタンプの場合、ただ単にザ・フーを利用して一儲けしようと企んだわけではなく、スター性のあるバンドを題材にサクセス・ストーリーのような映画を製作して認められたいという野望があったからだが、それだけでなく、恐らくは何か一緒に仕事をしたら面白くなりそうという直感に突き動かされてのことだったように思う。

 というのも当時ランバートとスタンプは、共に映画の助監督を仕事にしており、マネージメントや音楽プロデュースに関しては全くの素人だったからだ。にも拘らず、いきなりメンバー1人に対し当時としては破格の週給20ポンド(当時は固定相場で1ポンド=1,008円。20ポンドは現在の価値にして約80,000円程度)という条件を提示してマネージメント契約したのは無謀としか言いようがないが、それだけザ・フーの可能性を確信していたからだろう。これだけの支払いが可能だったのは、キット・ランバートが著名な作曲家・指揮者を父(コンスタント・ランバート)に持つ上流階級出身だったという話は知っていたものの、労働者階級出身ながら映画『コレクターズ』に主演したテレンス・スタンプを兄に持つクリス・スタンプが、自らの給料をメンバーへの支払いに充てていたからという話は、この映画で初めて知ったエピソードでもある。

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 そんな二人のことを在りし日のキース・ムーンはこう語っている。「最初は彼ら二人とは気が合わなかった。彼らも俺達同様になかなか周りと溶け込まないチームでね。典型的なイーストエンド出身でツッパリ風のクリスと、オックスフォード訛りの気取ったアクセントでしゃべるキットとは見た目にも不釣り合いな相棒同士だった。だがそういう彼らこそ俺達には完璧に似合いの相手だったんだ。俺とピートの関係も、性格やタイプ共に正に水と油みたいに違う仲間同士で、キットとクリスは俺たちコンビと瓜二つだったってわけさ」

 ランバートとスタンプがその後、どのような経緯を経てザ・フーと共に成功への階段を上り詰め、また仲違いするに至ったのかがこの映画のストーリー・ベースになっているのは説明するまでもない。そしてこの映画を観て改めて思うのは、初期のザ・フーにとって彼らの存在と励ましがなければ、ピートもソングライターとしての才能をあれだけ伸ばすことができたかどうか、また初期の頃は赤字になりながらも毎回のように楽器を破壊するステージを続けられたかどうか分からない。中でも特筆すべき業績は、二人がいち早くトラック・レコードというロック史上初のインディペンデント・レーベルを立ち上げたことで、ジミ・ヘンドリックスをデビューさせた先見の明はもっと高く評価されてしかるべきだろう。またロック・オペラというアイデアも、音楽一家に育ち音楽の素養があったキット・ランバート抜きには生まれていなかったかもしれず、フランス語もドイツ語も完璧にこなすオックスフォード大学出のインテリのランバートと、アイデアマンで行動派のスタンプの存在がどれほど大きなものだったのか、この映画は雄弁に物語っている。そんな二人について今から20年以上前の94年6月、ピートが筆者とのインタビューで想い出を語ってくれたので、それをここに紹介しておこう。

「キットが初めてプロデュースした2作目の『A Quick One』は、これまでのレコーディングの中で一番楽しい経験だったよ。キットとクリスが4人揃って曲の書けるバンドにしたいということで、全員が曲を書いたんだ。そして4人が平等に曲を持ち寄ったんだけど、リハーサルをしてみたらキットが”9分間足りない”って言うんだ。それで俺は今晩中に3曲書くって言ったら、”他のメンバーとバランスが取れなくなるから3曲を一つの曲にまとめるんだ”って言うから、冗談のつもりでオペラっぽい曲を書いたんだよ。その曲を初めて聴かせたのがちょうどキットの誕生日だったんだけど、彼にウケちゃってね。”もっとこの手の曲をやってみればいいじゃないか。アプローチ的にはもう少しシリアスに”ってアドバイスされたんだけど、結局これが『Tommy』の布石になったんだと思う」

 この映画の終盤、スタンプとピート、ロジャーが恩讐を超えて久しぶりに再会するシーンは間違いなくこの映画のハイライトで、ザ・フーの歴史を知るファンの一人として胸が熱くなる。キット・ランバートは81年4月27日、キース・ムーンの後を追うように父親と同じ45歳の若さで他界してしまうが、クリス・スタンプもこの映画の完成を待たず、2012年11月23日に帰らぬ人となってしまったのは残念でならない。因みに現在、キット・ランバートの伝記映画が俳優でもあるケイリー・エルウィス監督の下、ピートとロジャーもアドバイザーとして参加して製作中との話もあり、そちらの公開も今から楽しみだ。

保科好宏(音楽評論家)

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