‘Sly Stone makes music everyday’
スクリーンに映し出されたこの一言が印象的。
そう、いつだってどんな状況になっても音楽を作り続けていた、スライ。音楽への純粋な愛,溢れる創作意欲。
そんな音楽に向き合う、プロデューサー気質のスライの一面が
このドキュメンタリーで垣間みる事が出来ます。
フィルムの終盤にやっとスライ本人が登場。インタビューではとても優しく、賢く、ユーモアがあって、包容力があるスライが見れる。一つ一つの返答が素敵で、印象的でした。
Shingo Suzuki (Ovall / Hipnotics)
スライ・ストーンは1960年代後期から独自のファンクを生み出した人物だ。
そして、後追いでスライ・マニアになったオランダのドキュメンタリストが、
スライ・ストーンを探し始める。
一時期ホームレスになったと噂された行方のわからないスライはどこにいるのか。
あらゆるCDや雑誌記事を集めスライのすべてを知ったその彼はついにそのスライをキャッチする。
インタヴューしたいと申し出るとやっとの思いでOKが出るが、条件がついた。
「質問はひとつだけだ」。
果たして彼とスライは打ち解けられるのか。
1960年代からのスライ・ストーンの見たこともない映像が続々登場する入魂のドキュメンタリーが本作だ。
吉岡正晴(音楽評論家)
90年代から2000年代にかけて、多くのファンが考えていたはず……スライを見つけ出して、
もう一度ステージに立って欲しい、もう一度レコーディングをして欲しいと。
その夢を、そのままなぞったのがこの映画、というとよいかもしれません。
ラストシーンで、元気そうに、昔話や現在のアメリカのことを語るスライを見れば、
実は、ずっとスライは変わらずにいたんじゃないか?
そう思いました。そう、本当に元気そうなのだ。
間違っていたのは僕たちのほうだったのかも……。
「スライは病気だから」とか「コカインのせいで全てが崩壊したんだ」などと、
40年間も言っていた僕たちギャラリーは何の役にも立たない野次馬だった。
そんなことを尻目に、スライ本人はまだまだやってくれるんじゃないだろうか?
今回の裁判判決はその序章。
実をいうと、僕もこの映画と似たようなことをやっていました。
十数年前、ジェリー・マルティーニに電話をして「ファミリーストーン」を日本に呼ぼうとしていたのです。
それは頓挫してしまったのですが、時は流れてあちらでは動きがありました。
2006年のグラミー賞、2007年のヨーロッパ、来日、そして2011年のアルバム。バンドの再結成。
まだ完全復活とは考えられていないが、すこしずつ動いています。
アルケマ監督に感謝を言いたいです。
本人のリアルな声を聞いて、まだまだ終わってないと確信できました!
中田亮(オーサカ=モノレール)
ブっとんだ天才ファンク兄貴が大きく一歩近づいてくれた。1975年、ヨレっとしたSly & the Family Stone、ホノルルのホテル・ラウンジで見たことなど思い出した
久保田麻琴
スライの最後の名盤「フレッシュ」が発表された1973年から40年以上が経ちました。あれからの堕落ぶりについて、ドラッグのことを中心に様々な憶測が飛び交う中で、一体なぜ?という疑問が今も残ります。スライが音楽界に君臨していた時期をリアル・タイムで知らないオランダ人のウィレム監督とオタクっぽい双子が彼を追跡するという形のこのやや変わったドキュメンタリーは途中までかなりじれったいところがありますが、じっくり最後まで見れば報われます。
ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
1960年代後半以降に生まれたファンク~ソウル~ロック~ポップ~ヒップ・ホップ〜R&Bなどといった音楽に、歴史上最も影響を与えたミュージシャンの一人、それがSly Stone。
そのSlyによる歴史的なドキュメンタリー映画が遂にここ日本でも公開となる。
There's a legend goin' on
RYUHEI THE MAN (universounds)
あの頃の彼は、生きているかどうかもわからなかった。
だから一時期、ファンク指数の推定値が9.9まで上がったんじゃなかったっけ?(※どんなファンク偉人とて、生きているうちはファンク指数10に到達しない)
そんなスライ・ストーンの空白期間。それを幾ばくかは埋めてくれる、そんなドキュメンタリー。
丸屋九兵衛(bmr)
Sing a simple songをはじめて聞いた10代のあの日、人は皆、平等なんだとグルーヴするその言葉は私にとってそれからのバイブルとなった。勝訴 おめでとうございます。
金子マリ
僕の一番の神様はSLY STONE。
僕が一番影響受けたのはSLY STONE。
物心ついた時から聴いていて唯一飽きないどころか、毎回発見があるのもSLY STONE。
僕の人生の一番の自慢はSLY STONEと三回も握手した事。しかも日本で。
夜8時からのライブに朝9時から並んで、40cmの距離で号泣しながら観たのもSLY STONE。
『SLY AND THE FAMILY STONEに入れてくれ!』と書いた手紙を持って何時間もライブハウスの外で待っていた。
渡せなくて悔しくて部屋で泣いた。
同年代で一人も彼の音楽を語れる友達が居なかった僕。
それでも僕の人生は彼の音楽で成り立ち、華やかに飾られて来た。
そして彼の音楽に勇気付けられ、何度も助けられて来た。
まだ、お酒の味も知らない僕に高揚をくれた。
童貞を捨てた時だって、彼の音楽が爆音で流れていた。
俺が死んだら、葬式では俺の音楽じゃなくて、スライをかけてみんなで踊ってくれ!とみんなに言っている。
何十年も色々な悲しい噂ばかり入って来ていた。
グラミー賞にあのモヒカンで出て来たとき俺の心は爆発した!
「どうだ!ザマーミロ!!俺の神様はこんなにカッコイイまま帰って来たんだ!!」
どうかどうか、この映画をキッカケに、彼が今まで地球上で存在してきた中で、一番の音楽家だということが、再確認される事を願います。
尊敬という言葉が安くなってしまうのは、僕にはSLY STONEぐらいだ。
“Somebody’s Watching You” 彼の中で一番好きな言葉だ。
本当に生きていてくれてありがとう。Mr. Sylvester 心から愛してます。
KenKen
スライはずっと戦っていた。
僕はずっと誤解していた。
悲しくもあり嬉しくもある。
この映画を制作した方々にただただ感謝したいです。
何があろうとスライは永遠に僕の中のスターであることに間違いない。
僕はこの映画でひとつのハイライトシーンがあります。圧倒的ファッションに言葉が入って来なかったあのシーン。見終わったみんなで語り合いたいな。
竹内朋康