「伝説のファンク・スター」スライ・ストーン。1960年代後期から1970年代中期までのほんの短い期間に壮絶なファンク作品を生み出して、姿を消した男。彼の影響を受けたアーティストは数知れず。プリンス、マイケル・ジャクソン、マイルス・デイヴィス、ナイル・ロジャーズ、ジョン・レジェンド、最近ではディアンジェロ。そのファンクの伝染力は、すさまじくアメリカのみならず世界に広がった。
そんなファンク伝染病にかかった一人がオランダに住む映像作家、ウィレム・アルケマだった。
アルケマは1993年、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの1974年のアルバム『スモール・トーク』に収録されている「アイ・キャント・ストレイン・マイ・ブレイン」を聴いて衝撃を受け、このファンク・スターの行方を探す決意を固める。
すでにその時点で伝説化していたスライ・ストーンは、音楽活動をしているのか、どこで何をしているのかさえつかめなかった。そこで彼はリサーチを始め、多くの人間に出会い、遅々としながらもスライへ迫る。同じくオランダに住むスライ・ストーンの双子のマニア、コニング兄弟は、スライの本を書こうと考え、すでにリサーチを進めており、その協力は大きな原動力となった。
様々な古いアーカイヴ映像を掘り起し、スライ・ストーンの足跡を追い、とあるルートからスライ・ストーンが税金を滞納していたことから住所を突き止める。
スライのバンド・メンバーの協力を得て、徐々に一歩ずつスライに近づく監督たち。
そして、決して表に出てこないスライがついにインタヴューに答えるといってきた。しかし、条件が付いた。それはーーー。
「質問はひとつだけだ」。
もちろん、インタヴューに答えてくれるという返事だけでも大きな進展だったが、気分屋のスライは本当にインタヴューに答えてくれるのか。質問は一つしたら、もうその場から立ち去ってしまうのか。
1993年から粘り強く神出鬼没のスライを追い、スライの周辺を取材し、アーカイヴ映像を掘り起こしてきたアルケマ監督。
すでに22年の歳月が流れた。大方のフィルムの編集が終わった2015年1月、スライ・ストーンが2010年に元マネージャーであるジェリー・ゴールドステインに対して起こした訴訟の判決が出た。これにより、スライ側は500万ドル(約6億円)を得ることになった。
アルケマ監督は、このシーンも今作に急遽編集で差し込む予定だ。アルケマ監督のスライ・ストーンをサーチンする物語は続く。